大宮2−2仙台@さいたま

まあ原チャリかっ飛ばして見に来た価値はあったかな、と。
仙台は戦略と戦力に多少の乖離が見受けられる。志の高いサッカーは見ていて気持ちがいいが、それを実践する上ではあまりに・・・な技術の持ち主が2、3人ばかりいた。また、そのサッカーを支えるメンタリティにはさらに難があった。「ボールと人を同時に動かす」ということは、頭脳と技術と体力をフル回転させなければいけない。しかし、フル回転させる一方で、冷静に90分の戦略を計算したペース配分もしなければいけない。
仙台は、ボールを動かすことに夢中になりすぎて、自らの守備隊形に穴が開きつつあった事に気づかなかった。結果的にそこを試合巧者の大宮に突かれ、2度も追いつかれる。それをきっかけにチーム全体がミスを繰り返し、ボールを動かそうとする「主体的な意思」までしぼんでいってしまった。

精神面で一丸になっているチームは、そこで見せるサッカーもやはり一丸になっている。チーム一丸で攻め、チーム一丸で守り、チーム一丸で調子に乗り、チーム一丸で沈没していく・・・。それはまるで動いている生身の人間を見ているようでもある。

 仙台はチーム一丸で戦っていた。優秀な監督の下、全員が高い志を持って試合に臨んでいた。試合が進むにつれ、徐々に精神的な弱さをさらけ出しながらそれでも必死に戦っている様は、一人の弱い人間が失敗を繰り返して挫折していく様に見えた。面白いかどうかの判断は難しいが、サッカーおたくの胸を打つ何かがあったと思う。
シーズンが終わる頃、仙台はどんな『人間』になっているんだろう。