マラドーナ危篤

まあ、いつかはこういう日が来るとはいえ、つらいものがあるな。とはいえ、自分にとっての「マラドーナ」が少なくともゼンガやディドや楢崎に比べてそれほど大きくないことも確か。
自分がサッカー始めたきっかけは確かマラドーナだった気がする。
俺が小学校に上がるか上がったばかりぐらいの頃、家では親父が録画用のビデオデッキを買ってきたばかりで、NHKで放送されたマラドーナのゴールダイジェストを録画して何度も見たという記憶がある。
といっても、マラドーナのゴールを見て「俺も!」と思ったのは俺ではなく兄貴のほうだった。俺を毎日のように公園に引っ張り出しては壁の前に立たせ、小学1年生のにわかGKにフルパワーのシュートをぶちかます5年生。うん、成人してから上手いコミュニケーションも取れなくなるはずだわ。
結果俺はどうなったか?
幸いサッカーを嫌いになることはなかったが、地元のクラブに入ったときポジションを選ぶ上で「痛い目にあうのが嫌だからちゃんとしたGKになろう!」という少年になっていた。俺ってMの気でもあったのだろうか。
まあ、俺にとってのマラドーナはそういう存在だった。リアルタイムで見たイタリアやアメリカのときは、『悲劇のヒーロー』色の強い見られ方をされていたし、むしろ老雄扱いだったとも言える(それでも、対ブラジル戦で見せたあのパスは今でも忘れられない)。それに、この二大会でおいらはバッジョとゼンガにくびったけになってしまったので、やはり心のベストテン第1位にマラドーナは来ない。ヒーローが子供の心をわしづかみにするのは、やっぱりリアルタイムでの記憶じゃないとあかんからね。
でも、引退後のFIFA敵にまわす発言や、ラ・ボンボネーラボケンセに手を振る姿、良い選手を語るときのうれしそうな顔。永遠のサッカー少年。やっぱマラドーナはかっこいい。

ってまだ死んでねえんだからこんなしんみりする必要ないって!